“天人相関”編 “その一” 災異思想から思う事

2008/10/15
表題の“天人相関”は、中国の言葉です。
大体、以下の様に解説されています。

 人は小宇宙で、人は天の法則性で相応じる。
 天と人との間、すなわち自然現象と人事の間に因果関係がある。

上記の概念・・・それから派生した考えに、
災異思想が有り、
それは、春秋戦国時代や唐代中期において論議されたのですが、
その思想の概要は、
人間の行為の善悪に応じて、
自然が、天が、
人に災害や変異をもたらすという考えです。
前漢の董仲舒は、
国家が間違った事を行うと、
天が自然災害等を起こして警告すると言う説を唱え、
この考えは、
天人の辨(てんじんのべん)と呼ばれる思想となり、
又、孔子は、
天に人格的な意志を認め、
天が人に関わる事を述べ、
そして孔子と同じく、儒教創始期の代表人物、
曾参、子思、孟子、(孔子を含め、略して孔曾思孟)は、
これに従い、
子思、孟子は“天人合一”説を唱えて、
人の行為は天と連動している事を強調しました。

上記の災異思想に関しては、
天と人の関係、その認識の一部であると思います。
だからこそ、
君主が間違った事をすれば、天は譴責(けんせき)する。
(譴責は、官吏に対する一番緩い叱責、訓戒とか戒告の意味)
それは、
君主の権威を天に結びつける一方で、
(官制は天に象るという概念もあり)
君主の行為も、
自然法則の拘束を受けるという思想でもあります。

要は、
災異思想は中国の思想史上における、
天と人の関係についての論争でもあり、
天と人の関係を意識した論争でも有るのですが、
それは、
天罰や“神の咎め”バチが当たる・・・そう言う認識でもあり、
それは自分達の良い形の“創造”を追い求めるからこそ、
得られる認識でもあると思うのですが、
何故、こういう論争が起き、そしてその概念が出来たのか?

そして“天人相関”の思想は、
天にも、人(日止、霊止)と同様に、
喜怒の気があり、
哀楽の心があると記されており、
それは災異思想等から当時の人が気が付いた事でも有り、
又、そう認識されたといえます。

この事自体が、
人と天が、
共通する心(靈)の動きを持ち、
そして事象の観察と、認識(悟り、幸取=さとり)と言う事を、
行っている事でもあります。

“観察と認識”・・・この事に付いてアタシは、
“Kellyさんとの会話”でも“続”でも、
創造の主・・・神と認識されている存在と人(日止、霊止)は、
(“上”と“下”は)
“観察と認識”と言う共通の事を行っていると述べてきたのですが、
要は、
“観察と認識”・・・それを行う仕組みは、
電磁波の発振、発信と受信、
感覚を感じる事が電磁波の受信で有り、
自分の認識の中で、
物質や空気や光や電磁波や・・・振動の種類により人が分類して来たのが、
振動の形態の違いでも有り、
それは、
物質と認識したり、
気体と認識したり、
光や電磁波と認識したり・・・
又、五感・・・触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚、
感覚を感じる事そのものが、
振動の違いを認識している自分の心(靈)が、
電磁波を受信している事であり、
前記の感覚器官が感じた情報は、
生体内電流として脳に伝えられ、
それと同時に“観察と認識”をする。
そしてそれは、
脳を介して心(靈)が感じている。
そして、すべての観察と認識の結果でもある電磁波の受信は、
生体内電流に変換され、
その電気的な何かで心(靈)と体=體(からだ)は、創り変わる。
それが“気血栄衛(營)”でもある。

その仕組みは、
肉体が持っている磁性であり、
肉体を持っている生命を観察すれば、
磁性の強化と生物の進化が同義で有る事。
(私見ですが・・・これが進化の真実だと思えます。)

又、
創造の主=神と認識される存在が行っている“創造”そのものは、
プラスマイナス、陰陽、砌(みぎり)と日足(ひたり)、
いわゆる極性と認識される事があるからこそ、
事象の創造になる。

そして、
神の創造に伴い人が進化して来た事、
更に、
動物から人への進化に伴い、
心(靈)の発現が段々“上”に向かい、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性と、
心(靈)の動きを分類する言葉が出来、
それは、
人が自分達の心(靈)の動きを観察して出来上がった認識を作って来たとも、
言い得ます。

よって、次回からは、

生物の進化過程は、
磁性の発現とその強化と変容で、段々、
心(靈)が発現して来たというアタシの考えを述べる事にします。
又、この説明は、
“天人相関”から“天人合一”・・・この言葉から得られるアタシの私見に、
結びついている事を述べておきます。

序文

2008/10/01

まず、
最初にこのブログの説明として、既に完結した、

太陽凝視を行っている鍼灸師の話 Kellyさんとの会話
(2005年10月1日〜2008年1月15日)

・・・と、

そして今・・・パチモンKellyさんやや暴走気味の(笑)、

“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話
(2008年3月15日〜更新中)

それぞれの設定で説明し難かった事等を、述べていくつもりです。

この事は、
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 Kellyさんとの会話が、
自分の心(靈)の中での対話でも有り、
自分の心(靈)中での葛藤でも有り、
アタシ自身が若い頃から様々な認識を得て行った過程を、
表現した文章でもあり・・・

そして、
“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話 は、
今、観察されるこの世界の現津(あきつ)=観察され得る事象が、
大半の人の低い心(靈)の発振、発信で構築されていて、
そして崩壊しかかっている・・・なんと人の心(靈)の発現の低さって言うのは、
情けない物なのか・・・
そして、
アタシ自身がこの世界を憂いている・・・アタシ自身の感情に由来した文章でも有り・・・
そういった心(靈)の動きで書かれている文章でもあります。
そして、Kellyさんとの会話で中途半端だった“日月神示”の解釈、
それが中心になっています。


その二つのブログに対し、
この、太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”は、

今まで、鍼灸師としての立場の事をあまり述べていない。

言うならば、上記二つのブログは、
太陽凝視を行いつつ生きて来て考えた事を、
述べており、
それに対しこのブログでは、
太陽凝視を行いつつ、
鍼灸師として感じた事や、思った事、
それは、
鍼やマッサージの治療効果は電磁誘導であり、
そしてそれは、霊的干渉そのものであり、
生体内電流の発生と変容は霊的干渉(電磁誘導)である事。
その事を仙道で言い表した言葉が、
“気”そして“炁”であり、
東洋医学の思想は仙道の思想である事。
よってこのブログは、
東洋医学の概念なども織り込みつつ、
自分が感じている事を述べていくつもりです。

但し、
今現在“続”の文章作成が中心になっている為、
更新は月二回を自分の目標としてアップして行くつもりです。
悪しからず御了承ください。